吉野の吉水神社(よしみずじんじゃ)
社伝では、白鳳年間に役行者により建立されたと伝えられる。南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸したとき、宗信法印の援護を受けて吉水院に行宮を設け、一時居所とした。後醍醐天皇の崩御の後、後村上天皇が後醍醐天皇の像を作って吉水院に奉安した。

 又、吉野は大峰山修験道の里であり、もとは金峯山寺の僧坊・吉水院(きっすいいん)だったが、明治維新の神仏分離(廃仏毀釈)により、神社となった。後醍醐天皇を主祭神とし、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀する。

源義経は、異母兄弟の源頼朝に追われ、わずかな者たちに守られながら、雪の中を大和路を彷徨って、大和国宇陀郡龍門というところに着いたという。吉野からは目と鼻の先だ。源氏の郎等たちがそこに住んでいて頼ったというが、修験道の力を借りるために、吉野へ落ちのびようとしたことも考えられる。

吉野は、古くから頼ってきた者は救うというそんな気風の土地柄である。吉野の人々は、義経が兄頼朝の不興をかった時も、自らの危うさも顧みることなく、義経主従をかくまった。古来から吉野は聖地であり、自然の要害である。吉野の民衆たちは、無実の罪を負ってさすらう義経をかばい、吉水院の正殿を義経主従の臨時の隠家として提供してくれたと伝えられています。

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